紡ぎmemo

大学職員としての学びや気づき,日常の花や石などの癒し,徒然のmemo。

人生の転機

人生の転機。
ここ数年、なんとなくその時期にあるように思います。
一人でないからこそ、変化や出来事を乗り越えて、今があります。
「自他」という言葉を改めて考える機会がありました。
自尊感情」と「自己肯定感」についても、言葉を知る機会がありました。

 

言葉という贈り物。
「言葉」は「気づきのきっかけ」をくれます。
「気づき」が「味の決め手」、「きっかけ」が「一さじの塩」とすると、
「きっかけ」を得た瞬間は、まるで良い塩梅に必要な塩が入った瞬間のよう。
自分の中で起きる変化は時として、耐えきれないように感じるくらいの辛さを伴うこともあるけど、最後には「辛さを乗り越えた経験」として大事な宝物になっています。
そんな「言葉」の贈り物から得た気づきと経験が私にはいくつもあります。

 

つながりの中にある頂き物。
視野の広がりは、何かとつながっている中で起こるように思います。
つながりの中で、自分の中の何かと違うという感覚が新たな発見につながっている、というような…。
とはいえ、自分の感じていることは横において、他者の言葉をまっすぐに聞くことがどれほど難しいか、仕事を通じて実感します。
私のとんでもない幸運の一つは、師と仰ぐ人との出会いがあったこと。
私自身の学びにおいて、私の中での指導者としての在り方を感じさせてもらって、こうありたい、と思えるようになりました。
聞いてもらった実感、知らなかった自分を責めない安心感、視野が広がった喜びの共感。
それが前提にあって、頂くものは、人生の転機においては道しるべになるようにも思います。

「知りたい」と「知って欲しい」
私の中に「知りたい」という思いが強くあります。
それは私が「知って欲しい」と渇望する気持ちを持っていて、同じくらい、そう思う誰かの役に立ちたい、と強く思う自分がいるからだと思います。


ありたい未来と考え続けること。
「嬉しい」や「楽しい」だけではない、「辛い」という経験すら大切に思う、
今の私はようやく言えるようになりました。
今の仕事を通じて出会えた幸運をいかに価値に変えていくか。
私が今持つ資源は私自身しかないから…。
人とかかわる中で、誰かの何かに影響すること、
そのことに喜びを感じると同時に責任の重さが怖いと思う自分がいます。
その喜びを大切に、怖さは学びの源に変えて。
私自身が幸せで、その幸せから生まれた行動や働きが、社会の中で誰かにとって価値あるものとなり、巡り巡って未来の価値につながっていくように…。
そのことを大切に、どうしたらいいか、考え続けたいな、と思います。